ガス灯

横浜の歴史散歩
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横浜市中区花咲町3-86(根岸線桜木町駅下車5分)

通称音楽通りの中ほどに新築になった本町小学校がある。その正門の横に古風なガス灯と東京ガス株式会社が寄贈した石碑がある。伊勢山下のこの付近一帯は、かつて高島嘉右衛門(たかしまかえもん)が建設したわが国で最初のガス工場のあとである。

ガス事業について、1870(明治3)年、ドイツのシュルツ=ライス商会が事業の許可を申請してきていた。高島はガス事業の免許を外国人に与えては、利益を独占され、のちのち日本の憂いとなることを考え、有志9名で組織をつくり、資金を集め、シュルツ=ライス社に対抗して計画書を添えて県に申請したのだった。

日・独両社の激しい免許争いは約半年後、ついに高島らの勝利に終わった。高島は横浜町会所や中央の大蔵省などからも資金を援助してもらって、1871年、この地にガス工場の建設をはじめたのである。こうして翌年の9月に待望のガス灯がともされることとなり、その年の内に、ガス灯の数は300基に達したという。東京銀座にガス灯がともる2年前のことだった。

1874年3月、天皇・皇后両陛下の来浜に際して、高島はガス灯に趣向をこらして天覧に供した。その華やかな様子を『横浜毎日新聞』は「不夜城の真影、実に人意の表に出る者あり、奇絶と云べし」と記している。またこの時、仮名垣魯文(かながきろぶん)(『安愚楽鍋(あぐらなべ)』などの作者、『横浜毎日新聞』の文章方でもある)も「日の丸の光や添ハむ立ちのぼる ガスのけむりの高きいさをに」と詠んだ。

ただガス灯の料金は高く、街灯一基につき、月額4円50銭としたが,このガス料金支払いにからんでしばしばトラブルもあった。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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