地蔵王廟

横浜の歴史散歩
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横浜市中区大芝台7(根岸線桜木町駅バス根岸駅行山元町1丁目下車7分)

バス停山元町1丁目を降り、根岸森林公園方向に歩き、二つ目の交差点を右折し2分ほど歩くと、左手に地蔵王廟(じぞうおうびょう)と書かれた中国風の山門が見える。そこが南京墓といわれる在日中国人の共同墓地である。

欧米人とともに来日した中国人は、亡くなると山手の外人墓地に埋葬されていたが、1873(明治6)年3月、中国人の墓地としてこの地が定められた。墓地内にある寺の地蔵王廟はレンガ造の建物で、広東(カントン)から呼び寄せられた大工らにより、「光緒18年」つまり1892(明治25)年に建設された。その入口の両側には「慈雲照五嶽」・「佛像奇扶桑」と書かれた聯(れん)が掛けられている。本尊の地蔵菩薩は広東から持ってきたもので、全体を金色に塗った乾漆像で、インド風の法衣に中国帽をかぶって趺坐している。廟の横を登ると安骨堂がある。黄白色と青色で塗り分けた方形三層の寺塔風の建物で、空に鶴が重なって飛んでいるように見えるので黄鶴桜(こうかくろう)ともいう。門の左に安霊堂があり、その中に遺体を納めた柩(ひつぎ)が並べられていた。かつては何年かに1度、柩船(ひつぎぶね)が仕立てられて柩が故国に運ばれていたが、関東大震災・日中戦争と続く中でこの風習もなくなってしまった。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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