本牧グラフィティ"HOMMOKU GRAFFITI"

FENCEの向うのアメリカ・・・時代と共に姿を変える街、横浜「本牧グラフィティ」

チャブ屋の記事:神奈川新聞

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チャブ屋の記事:神奈川新聞

今回、神奈川新聞から「チャブ屋」の文字が使われている記事を抜き出して当時のリアルな状況を調べてみました。記事全文を掲載することは出来ないので私の概要と一部引用になる事、また抜き出しモレがあるかも知れない事をご了承ください。

現在の「神奈川新聞」は、次の様に変遷していますのでご注意ください。

明治23年 2月 1日~明治37年 6月19日「横浜貿易新聞」
明治37年 6月20日~明治37年 6月30日「横浜新報」
明治37年 7月 1日~明治39年12月 2日「貿易新報」
明治39年12月 3日~昭和15年12月12日「横浜貿易新報」
昭和15年12月13日~昭和16年12月31日「神奈川県新聞」
昭和17年 1月 1日以降       「神奈川新聞」

また、記事全文を知りたい方は以下で閲覧可能ですのでご利用してみて下さい。

日本新聞博物館 http://newspark.jp
〒231-8311 神奈川県横浜市中区日本大通11 横浜情報文化センター内

【チャブ屋の記事】

明治41年9月30日「本牧の水死美人」
本牧の小港先の海岸で女性の漂着死体が発見された記事。チャブ屋街の付近なので、茶屋女の可能性として身元を捜索していると書かれている。興味深いのは女性の服装が細かく記載されており当時の茶屋女の流行が見て取れる。

着衣は紺絣の単衣物、白縮の襦袢、真銘仙矢絣の表に桃色新海気の裏付き袷羽織、縞メリヤスの丸帯、赤メンネルの腰巻き、白メリヤスの半袖襯衣、赤メンネルの股引、白足袋等にて、付近に黒塗り表付き下駄ありし

 

明治44年11月26日「横浜の一昼夜”チャブ屋の一時間”午後七時より八時まで」
昔の本牧話からチャブ屋の潜入レポ的な記事。本牧は、半農半漁の寒村だったが今では、女性からアメリカ人を店に連れ込むようになったと書かれていて女性の話では、「チャブ屋も楽に儲かっているように見えても大変だ。」とか「アメリカ人は羽振りが良くて、イギリス人はケチだ。」、「商売上、アメリカの軍艦の出入りは警察より先に知っている。」などチャブ屋女性の本音がわかる。また、潜入した記者は、最後にこう言っていた。

帰りに相場を聞いてみると、客次第だが、普通の所でビーヤが大で四十銭から五十銭。ウイスキー、ブランデーの類が小さい洋杯(コップ)で二十銭から二十五銭とのこと。これで相応のお愛想を言うのだからさして高くもない。

 

大正13年5月6日「フランス語やピアノ教える家 実は恐ろしい人肉市 心せよ若き空想の女性たちよ」
夢を叶える為、少女がチャブ屋に行き救出された記事。その少女は、「自分は横浜本牧にある家に行って働きながら勉強する」と、一通の置き手紙を残して家出した。両親が自動車を飛ばし山手本町署に捜索依頼をして無事に救出されたホテルは「スターホテル」である。少女が見た新聞の求人広告は、かなり怪しい内容だったのだろう、彼女の気持ちが、それを表している。

私は東京の新聞広告で、本牧の海岸にある立派な西洋館で、小間使いをしながらフランス語も習えるし、好きなピアノも習うことが出来るという家があるのを知って、こういういい所があるならそこへ行ってしっかりと勉強し、自分の希望を遂げたいと思い家出をしたのです

この手の話は、昔も今も変わらないものです。

大正14年5月14日「山手署のチャブ屋退治 虚栄に憧れる若い女性へ おそろしい魔窟の話」
チャブ屋の求人広告の被害を止めようとする記事。特に地方の若い女性が都会生活に憧れている事を逆手に、チャブ屋の求人広告が地方の新聞に掲載することが盛んになってきた。長野県の少女2名がニューヨークホテルで働き、神奈川県中部の少女も文の家ホテルで働いていた。山手本町署に保護願いが増えているので、徹底的にチャブ屋の売春を取調べているとの内容。

大正14年6月4日「処女の生血を吸う悪魔の舌 チャブ屋に喰われて その筋の眼大いに光る」
女給募集の広告で誘い若い女性が働かせられている記事。これまた、女給募集の広告を見て二人が上京した。ひとりは、長野県生まれでもうひとりは、茨城県生まれ。いずれも、ニューヨークホテル(再度)で主人の岩田時太郎が送致された。検事局の係員が発表したコメントは次の通り。

最近不正広告を以て妙齢の処女を誘惑し、魔の淵に陥らしむるものが多いので、今後厳重に取り締まり、容赦なく検挙する方針である。この二人の如きは、ともに郷里より捜索願が出され、ひとりの父親はこの事件を聞いて始めて同女の居所を知ることができたが、その浅ましい我が子の有様に泣き出してしまい、岩田を厳重に処罰してくれと頼んで行った位だが、虚栄にかられ易い妙齢の女子を持つ親は、正に注意すべきことである

 

大正15年5月12日「本牧のチャブ屋へ 学生入り込む こいつ怪(け)しからぬと 山手署の一撃」
未成年者の学生まで遊興している記事。チャブ屋も当初は、外国人相手の高額な遊び場だったが不景気となり最近では、比較的騙しやすい学生や未成年を問わず入れるようになった頃の話だ。山手署では、森谷ホテルほか一戸へ臨検して、学生三名を調査中との事。三名は、未成年者と判明し、それを知っていて遊興させた営業者を処罰するだろうとの内容。

大正15年7月3日「本牧夜話に浸る チャブ屋の怪漢 此奴懐中の匕首 言う処頗る曖昧」
チャブ屋物語に浸って短刀を所持していた男を同行した記事。山手警察署で、小港付近一帯を臨検していたところ、カノホテルの奥座敷で「本牧夜話(著:谷崎潤一郎)」を読んでいた怪しい男を同署に同行し取調べすると短刀を所持しており、話も曖昧なことから某重要事件の一味とにらみ取調べを実施中との内容。

昭和2年8月16日「横浜夏の夜がたり 本牧夜話 -太呂雄生-」
昔の本牧を自分流の「本牧夜話」として語った記事。長々と続いているので、気になる部分の概要を次の通りにまとめました。
・「チャブ屋」…明治10年頃、イギリス海軍が150人位いて、その相手をしたのがチャブ屋である。小料理屋にご飯を食べに行くことをチャブチャブやりに行くと言っていた。それが、チャブ屋となったと思う。
・「ラシャメン」…外国の船員が、長い航海中、緬羊を船に乗せて性欲を満たしていたから。本牧村時代も馬鹿にしていた。千葉県からラシャメンを連れて来ていた。
・「支那人」…明治17,18年頃にアメリカの船が本牧沖で火事になった。乗っていたのは、お金を貯めて国へ帰る支那人だった。支那人は、命よりお金が大事なので身体につけて海に飛込み、その漂流死体が海岸に流れついた。おかげで、本牧海岸の者は、一躍金持ちになったが、その時の成金は、みんな良くない死に方をしたそうだ。

昭和2年11月11日「浜のえがお(4)春は曙『本牧の夜桜』絵ぼんぼりの灯 花に映えて さんざめく人も麗し」
本牧の自然とチャブ屋のギャップを書いた記事。本牧の三渓園に続く桜並木の綺麗さや、都会にはない自然のありがたみ、幸福感を書き綴っているが、終わりには、本牧=チャブ屋の印象だけではないと書いている。

本牧といえばチャブ屋で代表される。現代人にとって、チャブ屋のフラッパーさんの一瞥の方が、三渓園の幽趣よりも有り難いかも知れぬ。
おまけに谷崎さんは、戯曲『本牧夜話』や小説『痴人の愛』に於いて、氏一流の手法で本牧を淫蕩な場所として、天下の人々に印象付けてしまった。
と、云って、私は谷崎さんを攻撃するものではない。誤り伝えられた本牧にも、こうした静かな屋敷町のあることを知らせたいばかりだ。

豆知識:「フラッパー」とは、若い娼婦を「フラップ」というスラングで呼ばれており、そのイメージは、夜になるとジャズ・クラブへ繰り出して挑発的なダンスを踊り、煙草をたしなんで不特定多数の男性との逢瀬を気ままに楽しむような、勝気な若い女性だとみなされていた。

昭和2年11月21日「浜のえがお(14)『小港の暴君物語』寄木細工の床に魔塵が揚がる 白臘の二の腕 夕映えの顔」
昔の本牧も良いがチャブ屋の本牧もなかなかという記事。本牧で高級海苔がとれることを知らない横浜人はいるが、本牧のチャブ屋を知らない人はいない。それほど、本牧=チャブ屋のイメージが、国内さらに海外まで浸透していると書かれている。また、当時のチャブ屋の価格や、雰囲気、記者の感想が絶妙に書かれていた。

ビール一本一円也。酒屋で買えば五十銭でお釣りが来るが、ここでは福助が通り相場だ。まあ野暮な勘定は抜きにして、カウンターに寄りかかったオカッパさんの両の腕が肩の付け根からむき出しで左右にブラ下がる光景は悪くない…と申しておく。

 

昭和4年9月11日「チャブ屋の緊縮」
チャブ屋の飲食代が高いので値段を決めた記事。山手署は、26軒のチャブ屋主人を呼出して、ビール 80銭以内、サイダー 50銭以内、洋酒 50銭以内、コーヒー 25銭以内、肴(小物)30銭以内と決めて、客の見易い場所に掲示するよう通知したとの内容。

昭和6年6月27日「ジョンソン博士チャブ屋見物 お客の様な気軽さで部屋から部屋へ」
外国から人身売買の調査で来日した際の記事。外務省、内務省は、ジョンソン博士を出迎え自動車6台を連ね郵船に乗り込み船内調査の現場を視察した。その後、一行は県庁に向かう予定だったが、ジョンソン博士が突如、本牧街を先に視察したいと申し出て急遽向かい、第二キヨホテルスターホテル梅の家ホテルの3軒を約20分で視察後、一行は県庁に向かった。その時のジョンソン博士と山県知事・林田警部長とのやりとりが次の通りで、無理がある苦しい答弁が書かれていた。

[問]本県では公娼を将来どうしますか。
[答]県会では満場一致で公娼廃止を可決しているが、政府の方針により早晩廃止する日が来るでしょう。黄金町の遊郭は臨時のもので、娼妓の数も統計をご覧の通り漸次減少しています。
[問]公娼と私娼の差はどうあるべきですか。
[答]公、私娼をなるべく少なくする方針で取締まっている。私娼は何処でも許可しない。本牧の私娼は開港当時からの特殊的な事情があり、現在は旅館営業である。女はウエートレスでこれを許可している。
ここへ来る客は大部分外国人である。
外国婦人は二人しかいない。ロシア人が革命を避けて横浜に来たり、生活に窮してウエートレスをしている。
[問]私娼に鑑札を出したらどうか。
[答]それは出来ません。
[問]私娼が外出して歩くことはありませんか。
[答]ホテル街の他はやかましくしています。
[問]支那人の婦人が居るか。
[答]居りません。

豆知識:ここでいう「鑑札」とは、国が認めた娼妓(遊女)の証明書であり、チャブ屋を横浜遊郭と同格に認めて娼妓の人数を増やしたくなかったと思います。

昭和7年10月20日「横浜百景?のエース本牧」
不景気の中、チャブ屋だけは賑やかだとの記事。外人の公娼制度調査の対応で、県庁の役人が裃(かみしも)を着て案内し、チャブ屋は女を隠してベットも片づけていた。女性が見つかった時もダンサーで昼間は茶道や活花の稽古をしていると言う対応も決まっていたとか。当時、チャブ屋は約30軒あり女性は約300人いた。女性の稼ぎは、6割が主人で4割が自分の取り分。その取り分から電気代や水道代も取られお風呂代も取られるので同じなら広い銭湯の方がましと言って銭湯が賑わっていた。チャブ屋の土曜日は若い学生が多く早稲田の「都の西北」や慶応の「陸の王者」の唄声が響いていた。そんな、当時のチャブ屋の景気が書かれている。

チャブ屋はある意味に於ける横浜のエースだ。郭が忘れられ、待合いが閑却され、カフエーの時代となった長い時間を、チャブ屋は依然ながらの存在を明らかにしている。一日に十本のビールが出ればいいと云われる程、物の相場を超越した別天地だが、本牧の名は相変わらず中外に宣伝されている。エロのエース、そして?のエースだ。

チャブ屋だけは、取締まる規則がないので、規制が甘かったんでしょうね。
豆知識:「郭」=遊郭(公娼)、「待合」=(芸妓)、「カフエー」=(ホステス)、「チャブ屋」=(私娼):チャブ屋は、旅館であり、ウエートレスの自由恋愛とみなされていたからですね。

昭和8年12月7日「本牧の桃色御殿 山手署驚くべき秘庫を探る 会員は名ある有閑紳士」
チャブ屋よりも高級な社交場が摘発された記事。本牧和田で名士達が出入りする御殿があるとの通報が山手署に入った。その御殿は桃色御殿と呼ばれ有閑マダムが相手をする会員制の売春宿だったとの事。チャブ屋もビックリしただろう詳細の内容は、次の通りである。

同家は有閑紳士を会員とする享楽倶楽部で、会員から月五十円を会費として徴収し、日を定めて淫楽の世界を広げ、盛んにも風紀を乱していたもので、検挙当夜も某回送店主、市役所某課課長、某大商人があり、同署を唖然とさせている。山手署では、これを機会に風紀粛清のため不良有閑マダム征伐を始めると。

翌日の新聞では、各方面の名士達は山手署に呼び出されたが名誉の為に氏名の発表はしないと書かれていて、世の中いつの時代も「金」で守られるものだと思うと同時に、人間の欲は限りがないものだ思いました。
豆知識:「有閑マダム」とは金銭的にも時間的にも余裕があり、社交ダンスやパーティー、浮気など遊びに時間を使う夫人のこと。

昭和10年3月12日「ホンモクの王座 スターホテル競売の運命 借金が払えないで」
有名な、スターホテルが競売にかけられた記事。チャブ屋の中でも王座を誇るホテルが競売にかけられそうだ。経営者の内山盤根氏は、浅草の北仲町五寺崎士郎さんから三千円余の借金があり、返済できずホテルや家財道具一式が差し押さえられ競売にかかることになった。しかし、内山氏は家財道具は、妻の山内コウさんの所持品だと主張し横浜地方裁判所に異議の申し立てをした。いずれにせよホテルは、手放すことになりそうだとの内容。

昭和10年11月9日「・ホンモク・に弾圧 チャブ屋街へ 当局断固取締り実行」
県保安課が規則がないチャブ屋を実態調査する記事。ダンスホールは、舞踊場取締規則、カフエー喫茶店は、特殊飲食店規則で縛られているが、チャブ屋だけは何れの規則の適用も受けていない。そのため、営業時間も深夜から朝まで営業し蓄音機や騒ぎ声が煩く付近住民が山手・伊勢佐木署に厳重に取締るよう要望の声が上がった。これにより、県の保安課が独自の立場で弾圧を加えることになりチャブ屋の実態調査を開始する。ずっと治外法権視されていたチャブ屋もいよいよ規則が適用されそうだとの内容。

昭和11年8月18日「張り切る桃色街へ 増設罷り成らぬ ホテル時代の筋違い」
オリンピックに向け増設したいチャブ屋の記事。実際には、第二次世界大戦の為、開催は中止となったが、その当時は昭和15年(1940年)の東京オリンピック開催に向けて神奈川県も外国人用のホテルを湘南地区等に建設する予定だった。この波を利用して、本牧のチャブ屋街も再び外国人を大量に呼び込むためにホテル内の増改築を県保安課に多数届けられていた。しかし、県ではチャブ屋の増改築は認めないとした。普通の旅館には新営業をどんどん許可する方針であるが、普通ホテルを偽りチャブ屋みたいな怪しい旅館も届け出ているので新規許可は厳重に調査するとのこと。チャブ屋は、増改築が認められず困っているとの内容。

昭和12年6月10日「本牧からホテルの名を奪う オリンピックの外客に普通のホテルと混同されるおそれ」
チャブ屋の店名から「ホテル」を廃止する記事。昭和15年(1940年)開催の東京オリンピックで第二会場が横浜に決定された。県保安課は、外国人客が大勢来日する際、チャブ屋の店名に「ホテル」が付いている為、普通のホテルと間違える可能性があるので、チャブ屋街の店名から「ホテル」の名称を付けることを禁止した。当時の地図を見ると、確かに「ホテル」の名称が削られているので不思議に思っていたが、やっと理由がわかりました。

昭和12年9月5日「ラーメン五十銭 これは何としても高過ぎる 本牧ホテルに猛省を促す案」
本牧付近の飲食代が異常に高いとの記事。本牧チャブ屋が国際的な歓楽街として有名になるにつれ関連業者の暴利がひどいと非難された。オリンピックに伴い外国人や地方からの来客があるので、神奈川県料理飲食業連合会は、警告的態度に出ようと幹部や同業組合間で対策協議が行われ始めた。その当時の意見や本牧チャブ屋地域の飲食代金が次のように書かれてある。

山手西支部料理業者百数名から取り寄せる出前が、例えばラーメン一個に付き五十銭、八十銭という暴利ぶりで、本牧方面の飲食業者が、年々ホテル業者とともに不振の度を増している実情と、数年間の統計からも、ホテル街のみがひとり暴利放題であることを傍観することは、ひいては業者全体に悪影響をもたらすものであるというにある。

 

昭和14年11月12日「本牧チャブ屋街に 消えるネオン燈 あたし達も国策順応に」
戦争に向け本牧チャブ屋も自粛体制に入った記事。昭和13年に愛国婦人会として本牧ホテル(チャブ屋)班が200人で結成された。その後から、チャブ屋のネオンサインが自発的に消されていった。一見、住宅街のようで、とても歓楽街とは思えない情景となった。自粛の意を表したと同時に電力を節電して無駄を排除して国策に順応した。また、チャブ屋通りのタクシーが小港通りに並んでいたが、これもガソリンの統制から段々と影をひそめて行ったとの内容。

この記事をもって、神奈川新聞から「チャブ屋」の文字は、見つけられなくなった。

言論統制によるものと考えられます。

昭和16年 – 日本、対米英宣戦布告。
昭和18年 – 「小港ホテル組合」の名称を「山手旅館組合」と改名。
昭和18年 – 産業戦士憩いの家や戦時徴用工員寮等となり廃業になる。
昭和20年 – 横浜大空襲により全て焼失する。敗戦で焼け地が接収される。

このようにして「チャブ屋」の存在自体が消えてなくなりました。

▽但し、大空襲で唯一、スターホテルのみ残り接収中も「LIGHTHOUSE SCHOOL」として利用されていましたが、昭和53年に取り壊されてしまいました。(現在のイトーヨーカ堂裏)
lighthouse_1959
写真:Yohi Alumni Site

参考:「横浜貿易新報」に見る昔の本牧 編集・発行 須藤禎三 印刷・製本 フリーダム横浜店

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