マイカル本牧 デッキの謎!

マイカル本牧
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本牧通りを跨ぐ、イオン本牧とベイタウン本牧5番街のデッキ(正式には、「ペデストリアンデッキ」と言う)は、歩道橋ではない。通常、公道上に民間企業が架橋(デッキ)を建設するのは、道路交通法上不可能である。では、どのようにして現在のデッキを作ることが出来たのか?その経緯を調べてみた。

まずは、現在の道路状況を「横浜市道路台帳」から調べてみる。

なんと!車道とは別に、デッキを含む建物の外側通路全体が横浜市道で「本牧25号」となっている。

▽黄色の線が横浜市道「本牧25号」と拡大図

見慣れた、このデッキと外側通路が横浜市の道路だった。
▽イオン本牧とベイタウン本牧を結ぶ、デッキ

▽ベイタウン本牧側の外通路とイオン本牧側の外通路

横浜市道であれば、公道を跨ぐように架橋(歩道橋等)を建設しても問題は、ない。しかし、どう見ても旧マイカル本牧の建屋の一部である。今度は、なぜ民間企業で建設したデッキが、横浜市の市道なのか?という疑問にぶつかった。

早速、図書館へ行って接収解除後の本牧整備についての資料を探してみた。

▽新本牧地区商業開発基本構想策定委員会(1985)『新本牧地区商業開発基本構想策定報告書』

「資料の概要」
接収解除後の新本牧商業開発にあたって、一体化した大きな面積の土地が理想的だ。しかし、公道(本牧通り等)で分断され、また街区が細分化されており不可能だった。そこで、現イオン本牧地区をメインとし、現ベイタウン本牧地区や近隣する地区をデッキで結び、施設を一体化することによって来街者の回遊性を高めることにした。施設配置にあたっては次の提案とする。

・南北方向のくるま軸に対して、東西方向を人間中心軸とし、両端に核施設を配置する構成とする。
・山頂公園側は、イメージの核としてホテルを配置してリゾートゾーンとし、東側は、商品の核として大型店を配置して生活ゾーンとする。その間を本牧特化型の専門店群で構成する。
・くるま軸に沿って、車のアプローチし易い15街区、45街区に大型駐車場を配置する。
・人間中心軸に沿って副次核を設け、リゾートゾーンに対応した機能としてスポーツ施設を、生活ゾーンに対応した機能として、住関連の大型専門店を配置する。
・駐車場街区の低層部の幹線道路、および中心街区に面している部分には、表通り地区との連続性および、歩行者への施設の表情を考えて、業務サービス機能、文化教養機能等を配置する。

マイカル本牧が開店する4年前、既に計画は決まっていたのであった。では、どのようにしてマイカルは、デッキを建設し、どのように横浜市道「本牧25号」となったのか?疑問は、まだ残ったままだった。

色々、調べていくと、マイカルグループの本に、その答えが書かれていた。

「架橋で結ばれた街」

街づくりの「あるべき論」からスタートしたマイカル本牧が最初に直面した問題は、現在サティが建っている一番街のデッキ(歩道橋)の架設問題だった。
マイカル本牧は四つの街区から一つの街を構成している。ここでいうデッキとは、公道を跨ぎ、一番街と五番街とを結ぶ高架橋のことだ。
この高架橋の架設計画は、常務会においてすでに決定済みだった。マイカル本牧の全容については先に述べたが、このデッキがなければ、今日のマイカル本牧の魅力は半減する。いや、それ以下のものになってしまったといっても過言ではない。
それというのも、デッキは単なるデッキではない。四つの街区を結ぶ動脈であると同時に遊歩道でもある。このデッキがなければ、四ブロックの回遊性を失うばかりでなく、街としての景観もまた、失ってしまう。事実、来街者は、デッキの上にたたずみ、マイカル本牧の全体を見回したり、記念撮影をしたりする恰好なポイントとして利用している。
一番街と五番街とは、ちょうど街の中央に位置し、それぞれの二階部分でこの架橋によってドッキングされている。実は、この架橋計画は、基地の返還が正式に決まった昭和三六年から、建設省の認可を受け、”絵”としてはでき上がっていた。しかし、行政サイドでは歴代、担当者の間では常に申し送り事項として書類はほこりに埋もれていた。
原因は、道路交通法との絡みである。民間の建造物を公道上にデッキで結ぶというのは、同法に抵触することになる。行政法上きわめて困難な問題だっただけに、歴代の行政マンが避けて通っていたというわけだ。しかし、行政としては、一度は建設省サイドの認可を受けた事業である。前任者の計画を無視するわけにはいかない。そこで順送りのままになっていたのだ。
一番街と五番街とを結ぶ遊歩道の下が公道であることはすでに述べた通りだ。この両館は東西に面し、それぞれの館の角が横断歩道となっている。仮に両館が架橋によって結ばれていなかったら、人の流れは横断歩道によって中断されてしまい、回遊性が極端に失われることになる。
だが両者の間に道路交通法という犯すことのできない壁があった。
しかし守安らにとっては、ここに橋を架けなければならないという至上命令が控えていた。
「どうしたもんか……」
と悩んでいろいろ調べていくうちに、横浜市に「グリーンプロムナード計画」という遊歩道計画が策定されていることを知った。港のみえる丘公園、外人墓地、根岸森林公園、本牧山頂公園、新本牧、ワシン坂と、横浜市の外周を一巡しながら緑と洋館の景勝を楽しんでもらおうという計画である。
だが、せっかくのこの計画は、完全な意味での一周道路になり切れない現実面があった。すなわち、港の見える丘公園を基点とし、前掲の主だった地を回遊し、新本牧地区に入ると、ここでバス道路とぶつかってしまい、回遊路が中断してしまうからだ。ところが、五番街の裏手は、緑に包まれた丘陵地であり、ワシン坂に通じる絶好の遊歩道となり、興趣がさらに増すことになる。
守安らはこの点に着目した。道交法上、民間の建造物が公道を跨ぐことができないなら、行政上の土地の上に、計画通りに行政が道路を作っても違法にはならないだろうということだ。つまり、横浜市が計画していたグリーンプロムナードにマイカル本牧が協力する形で、一番街と五番街とをブリッジで結び、これを、市に寄付することだ。わかりやすくいえば、マイカル本牧が市道を作ることにより、念願だったマイカル本牧としてのブリッジを架けることができ、同時に市当局のプロムナード計画にも参加協力したことになるのだ。
この一石二鳥の計画を市当局に上げると、そのまま認可された。したがって現在、マイカル本牧の名所の一つとなっているブリッジは、法律的には市道路局の管轄下にある市道ということになる。
現在、この市道は、五番街のちょうど切れた横のところで中断されている。ロックされたその先は、だらだら坂の斜面となり、緑の生い茂る丘陵地へとつながっている。

参考:山下剛(1990)『MYCALグループ 時代の感性を読む経営』 講談社

それにしても、ドラマのような話である。基地返還が決まった昭和36年、すでに架橋計画が出来上がっていたのにも驚いた。しかし、道路交通法により民間での建設は、不可能なので横浜市で架橋(歩道橋等)を建設するつもりだったのであろうか?

一番、凄いと思ったのは「グリーンプロムナード計画」と結びつけた、当時のマイカル担当者である。要するに、マイカル本牧でデッキを建設し、そのデッキ(架橋)を横浜市へ寄付するという発想だ。よって、現在も横浜市の市道「本牧25号」という事になっていたのだ。参考文書の最後に「ロックされたその先は、だらだら坂の斜面となり・・・」と書かれているが、現在は本牧山頂公園の入口として新しい架橋によって結ばれたのである。ちなみに本牧山頂公園の開園は、1998年と意外に遅く、マイカル本牧がオープン(1989年)した9年後だった。

▽本牧山頂公園と繋がった新しい架橋(つなぎ目が分かる)

▽本牧山頂公園側の通路と「であいの交差点」

▽海側(イオン本牧)の外通路だが人通りが少ない。

▽この先には、チャブ屋があった場所や、本牧十二天がある。

さて、更に「グリーンプロムナード計画」とは、どのような計画だったのか?ネットで検索しても全くヒットしない。図書館に行って横浜市の資料を探すと、その計画が書かれた冊子を見つけることが出来た。

▽横浜市都市計画局新本牧開発室/編(1984)『新本牧まちづくりの道標』

「旧外国人遊歩道のルートを再生し、山手地区・根岸森林公園・三渓園等を結ぶグリーンプロムナードとして整備する。また、このプロムナードは既存の都心プロムナードと有機的につながる。」と書かれている。

▽新本牧地区商業開発基本構想策定委員会(1985)『新本牧地区商業開発基本構想策定報告書』

「新本牧商業開発のテーマである「観光性」を実現するためには、横浜市内に散在する商業的・観光的拠点の有機的な結合をはかるグリーンプロムナードを軸とする「ネットワークシティYOKOHAMA」を形成し、その一環として新本牧地区を中心とする新しい魅力をもった「横浜観光新名所」を創出することが必要である。
本牧サブネットワークは、グリーンプロムナードを軸に、山頂公園と新本牧地区、三渓園、本牧市民公園を結ぶ快適な歩行者空間を整備し、各施設間を回遊させて、観光面でのポテンシャルをひき上げ、又商業地区への集客をはかろうとするものである。」と書かれている。

これで、現在のイオン本牧とベイタウン本牧5番街を結ぶデッキは、マイカル本牧時代に建設して横浜市へ寄付し市道「本牧25号」として使われていることが判明した。普通であれば、これで「めでたし、めでたし」と終わるが、もう少し考えてみた。その後「グリーンプロムナード計画」は、どうなっているのか?知っている限り、デッキは使われているが、その先の建物外側通路は、人通りが少ない。まして、散策道として楽しんでいる人は、めったに見かけない。色々と調べてみると「グリーンプロムナード計画」は見つからないものの、そのルートを継承したかのようなマップを発見した!

▽横浜市中区役所区政推進課(2007)『緑と洋館の巡り道』

そのマップは、マイカルグループの書籍内容とも一致している。

横浜市に「グリーンプロムナード計画」という遊歩道計画が策定されていることを知った。港のみえる丘公園、外人墓地、根岸森林公園、本牧山頂公園、新本牧、ワシン坂と、横浜市の外周を一巡しながら緑と洋館の景勝を楽しんでもらおうという計画である。

まさに、同じルートと思って見ていると・・・

ん?マイカル本牧時代に建設した架橋市道「本牧25号」だけが、外されている!

▽「グリーンプロムナード計画」と「緑と洋館の巡り道」の比較

ほぼ、同じルートだが、マイカル本牧が寄付したデッキ(架橋)は、残念ながら通らない。

▽比較の拡大図(赤線が、横浜市道「本牧25号」)

横浜市は、公道としながら不思議とマイカル本牧を「グリーンプロムナード計画」から外しているかのようにも思えるマップだ。本牧山頂公園もルートから外されて、本牧通りを散策するルートとなっていた。

しかも、この「緑と洋館の巡り道」も現在は・・・

現在、探し得たマップは、「横浜山手西洋館マップ」のみ。緑(グリーン)の字すらなくなっていた。というか、現在「本牧」を散策するマップは、私が調べた限り横浜市で発行していない。(知ってる人が、いましたら教えて下さい。)

▽公益財団法人 横浜市緑の協会(2014)『横浜山手西洋館マップ』

最後に
改めて、旧マイカル本牧のデッキを調べてみると、「本牧25号」という市道であり、昭和36年からの構想があり様々な出来事があったことが分かりました。本牧に在住していながら特に海側へ向かう外側通路は、数回しか通った記憶がなく、久しぶりに通ってみると、本牧埠頭のキリン(クレーン)が見えて、とても良い散歩道だと感動しました。みなさんも時間がある時にでも、グリーンプロムナード道、いや「本牧25号」だけでも散歩してみて下さい。新たな本牧の風に出会えることと思います。
現在、私個人なりの「本牧マップ」を計画しています。出来次第、本サイトで掲載しようと思っています。しかしながら本牧関連では、まだまだ沢山の調査したい事項があって手つかずのまま残っているので、いつになるのやら・・・

▽本牧25号の全景

おまけ
今回、「本牧25号」を調べる為に、ネットで色々と検索してたら、偶然にも発見しました。既にご存知の方も多いかも知れませんが、私は知らなかったです。

お酒も飲める大人のケンタッキー「ROUTE25」

2012.4.25に、下北沢でオープンしてたんですね!テキーラやウイスキーをベースにしたアルコール類、ピザやパスタなどのオリジナルメニューも販売してたそうです。
コンセプトは、「古きよきアメリカ」で、店内にはアメリカ風のバーカウンターが設置されています。

▽下北沢のケンタッキー「ROUTE25」の店内

「ROUTE25」の店名は、KFCの創業者であるカーネル・サンダースさんが、国道25号線(Route 25)沿いにレストラン「サンダース・カフェ」を出店したことにちなんだもの。ロゴデザインは、国道の標識をイメージしているそうです。

▽下北沢のケンタッキー「ROUTE25」のロゴ

残念ながら、2015,3,30に、閉店していました。

何だか、「本牧25号」=「古き良きアメリカ」+「Route 25」って感じがして、本牧のケンタッキーも他店より、お洒落じゃないですか!是非、本牧もお酒も飲める大人のケンタッキー「ROUTE25」にならないかな~なんて思ったりしました。

▽本牧のケンタッキー

おしまい。

コメント

  1. 渡邊様 コメントありがとうございます。
    それにしても、旧マイカル本牧の、ペデストリアンデッキをデザインされていた方からコメントを頂けるとは、とても嬉しいです。オープン当時は、あんなに大きな駐車場があったのに行列待ちの状態で凄い人数の来客が今では嘘のようです。
    しかし、今でもイオン本牧として地元住民に愛されている施設です!
    マイカル本牧系の資料をお持ちでしたら、提供して頂けたら幸いです。

    ハングリータイガーやイエスタディの写真も写真家の西田様から提供して頂いております。お時間ありましたらご覧ください。今後とも宜しくお願い致します。

    https://honmoku.search-japan.com/mycalhonmokuarchive/

  2. 渡邉 浩之 より:

    初めまして。素晴らしい内容で、感激です。
    実はマイカル本牧環境デザインチームで、主にペデと立体駐車場棟(住居地域に公聴会も開いて建設)のデザインと行政折衝を担当し、それらが一段落した後、5番街の共用部デザインを手掛けました。
    ほぼ2年間現場にこもり、ハングリータイガーとイエスタディしか周辺になかったので6kgも太ってしまいました🤣
    本牧オープン後に設計事務所を作ったので、本牧以降のプロジェクトは何らかスケッチやら資料が残ってますが。。。事務所の大掃除の時に、何か残ってないか、探してみます。

  3. […] 1番街と5番街を結ぶデッキは至る所に老朽化が目立つ ※市道本牧25号線のようです⇒詳しくはこちら […]

  4. Cold_Sleeper 様

    貴重な写真をありがとございました。早速、以下の
    「マイカル本牧アーカイブ」に掲示させて頂きました。

    https://www.honmoku.net/mycalhonmokuarchive/

  5. Cold_Sleeper より:

    ご返答有難う御座います。
    非公開のメールアドレスにご連絡頂ければ
    折り返し、サンプル画像を添付の上ご返信します。
    友人に送ろうと思い、スキャンした写真が25枚あります
    「これは使えそうだ」というのがありましたら
    改めてスキャンし直しますし、そのまま使用しても
    私は差し支えません。

    目下、鳥居民著の「横浜山手」を借りて読んでおり、
    この中にもチラっと本牧に触れている箇所があります。

  6. Cold_Sleeper 様

    コメントありがとうございます。かなり、マニアックな内容ですが、調べて行くと色々と
    おもしろいエピソードや地元の住民でも知らない話が沢山あるのが「本牧」なんですよね。

    宜しければ、Cold_Sleeper様の「マイカル本牧工事中の外壁」写真を是非、本サイトで
    紹介したいと思います。お待ちしております!

  7. Cold_Sleeper より:

    これはスゴイ!入念な調査に深く感服しました。

    自分で撮影したマイカル本牧工事中の外壁写真が見つかったので
    どなたか他にも居ないか検索中、こちらに辿りつきました。
    もう本牧には10年以上訪れてなく、
    ショッキングな画像が多く公開され、驚いている次第です。

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