岡倉天心生誕の地

横浜の歴史散歩
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横浜市中区本町1-6(根岸線関内駅下車5分)

横浜市開港記念会館の正面入口の左側に、明治期に美術界の基礎を築いた岡倉天心(1862~1913)の誕生地を示す岡倉天心誕生之地の碑(おかくらてんしんせいたんのちのひ)がある。大理石にブロンズの天心の肖像をはめこんだもので、題字は日本画の安田靱彦(ゆきひこ)、レリーフは新海竹蔵の作である。昭和34年5月に横浜開港100年を記念して設立された。

開港当時、この地には天心の父で元福井藩士であった岡倉勘右衛門が藩命によって生糸貿易を営んでいた石川屋があった。天心は勘右衛門と母「この」との間に生まれた次男であり、幼名を角蔵(かくぞう)、後に覚三と改め天心と号した。天心は7歳ごろからアメリカ人宣教師バラから英語を学び、9歳の時に高島嘉右衛門が開設した高島学校に通った。1871(明治4)年、藩命で石川屋は閉鎖され、一家は東京日本橋に移り旅館業を営んだ。

その後、天心は東京外国語学校・東京大学で学び、卒業後文部省に入り、御雇(おやとい)外国人教師フェノロサの研究を手伝って、全国の神社仏閣の文化財を調査し、古美術の保護・美術の普及・美術教育の調査にあたった。1889(明治22)年、東京美術学校の設立に尽力し、翌年には校長に任ぜられた。1898年、いわゆる美術学校事件で職を辞し、橋本雅邦(がほう)・横山大観らを率いて日本美術院(同人による美術展を院展という)を設立して美術運動を推進した。天心は列強の支配下にあるアジアの解放を主張して、その文化的優秀性を強調した。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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