マイカル本牧は、なぜ、スペイン風か?

マイカル本牧
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最近(マイカル本牧が衰退後)、本牧に憧れて初めて本牧に訪れた人からよく聞く意見を書いてみる。

「なんだ?アメリカングラフィティをイメージしてたけど、普通の街なんですね。(言葉にしないが、普通の街より寂れてる感も)それにしても、どうしてアメリカじゃなくて、スペイン(旧マイカル本牧)なんですか?」

こんな意見が、今の本牧に対する正直な意見だと思った。どういう経緯で、そうなったのか調べてみることにした。

では、「なぜ、スペイン風か?」

当時のニチイ新本牧開発室 守安秀章 さんの話から理由が分かった。

「われわれは、スペイン建築を移築するといった意識は全然ない。強いていえばスペイン建築様式を採用したと思っている。商業空間というものは、一般的に支持されるものでなければならない。われわれが願っていたものは、芸術性というよりはむしろ、居心地のいいところ。街あそびの興味に満ちたところをつくりたかった。そこで、居心地のいい建築様式のなかで何が一番適当かと、調べていくうちにスペイン風の建築が浮かび上がってきた。スペイン風の建物は、ヒューマンスケールとか、ヒューマンタッチとかいうものが日本人に向いていた。要するに巨大ではない。どちらかといえばチマチマとしている。
それでいて、路地があり、パテオがあり、坂道があるといったように、随所に人間臭さが充満している。これが第一点。第二点は横浜という歴史的な風土がある。幕末史的にいえば横浜は鎖国から、開港に向かっての五港の一つ、当時からバタ臭いというか歴史感の漂う街としての印象があった。こうした歴史的な背景を考えると、アメリカナイズされた近代的な建築物を建てる場所ではないという結論に達したわけです。こういった観点からすれば、スペイン風な建築が、様式美としてベターだと思ったんです。マイカルグループの経営理念として、心が浮々とし、しかも健康的であり、若々しく気取らないというコンセプトがあります。街づくりの過程において、県立博物館(神奈川県)に代表されるような大正ロマン調に満ちたレンガ造りの建築のご推せんを受けたというケースもありましたが、あえて私どもは、気取らないというか、楽しさを演出する建造物としてスペイン風を採用しました。
われわれは、外部的な評価は別にして、”本牧コロニアル”と勝手に呼んでいるわけですが、スペイン建築というものはすべて、コロニアルです。ですから、シンガポールに行ってもスペイン風の建築がありますし、南仏、アメリカに行っても同じ形式が見られます。仮に、スペイン人が、本牧に来ても別段、故国への哀愁を覚えないはずです」

参考:山下剛(1990) 『MYCALグループ 時代の感性を読む経営』 講談社

要は、スペイン風に見えても、あくまでもマイカルが創出した景観だということなのだ。
確かに、私自身も本牧には、昔のアメリカ的な店が多いのに、あえてスペイン風なところに違和感もあった。結果論になってしまうが、マイカル本牧のオープン当時(1989年)の近代的なアメリカではなく、接収当時(1950年代)のアメリカをコンセプトにして本牧の街全体として計画を進めていたらどうだっただろう?と個人的には想像してみたりする。

※バタ臭い=《バターのにおいがする意から》西洋風である。また、西洋かぶれしている。

▽アメリカナイズされた近代的な建築物=モダニズム建築で、装飾のない直線的構成を持つ立方体を特徴とし、俗に「豆腐のような」「白い箱」と形容される。機能的・合理的で、地域性や民族性を超えた普遍的なデザインを言っていると思われる。(横浜市庁舎)

横浜市庁舎

▽大正ロマン調=日本古来の建築に西洋の煌びやかな建築が共存し、退廃的で和洋折衷の雰囲気のする建築。(神奈川県立博物館)

神奈川県立博物館

▽コロニアル=スパニッシュ・コロニアル様式とは、スペイン南部アンダルシア地方の白い塗り壁(漆喰塗り)で褐色系の瓦屋根の住居や、セビリア、コルドバに見られる花と緑で装飾された中庭(パティオ)を持った住居がよく知られている。(アンダルシアの風景:マイカル本牧に、そっくりでしょ?)

アンダルシアの風景

▽イスパニア通り=マイカル本牧がスパニッシュ・コロニアル調のため、この通りをイスパニア通りと呼ぶ。

イスパニア通りの看板

上記の理由から、マイカル本牧はスペイン風をコンセプトに建築された。当時は、バブル時代であり、国内の豪華なリゾートホテルもスパニッシュ・コロニアル調で、太陽の「光」を中庭(パティオ)で取り入れ、バルコニーで「風」を感じ、噴水や水路等で敷地内に「水」がせせらぐ音を聞き、優雅な空間・時間を楽しめた。また、一流ブランドのアイテムを欲しがり、「車」もステータスでドライブ気分で来る人が多く交通の便は、駐車場の数だけ問題だった。

マイカルオープン当時は、そのスタイルがマッチして東京ディズニーランドと匹敵するくらいの人が、訪れたので決して失敗だったとは思わない。

しかし、バブルが弾けた今、一流ブランドのアイテムや、まして「車」を欲しいという特に若い人は、全体的に減少してしまい、電車(駅)がない本牧から遠ざかってしまった。言い換えれば、今の本牧にスペイン風(バブル時代リゾート風)は、似合わなくなってしまったのだ。そして、マイカル本牧が出来る前の接収時代の「アメリカングラフィティ」を本牧に期待して訪れている人が増え、残念がって帰って行くのが現状である。

▽「本牧」= こんな感じのイメージを持って来るんですね!(写真は、全て本牧)

本牧の夜のネオン

▽クレイジーケンバンドの横山剣さんの曲「アメ車と夜と本牧と」の影響が強いのも確かです!

コメント

  1. ハマオ 様
    なんだかんだ言ってもマイカルは、良かったですね。まあ、バブル期でしたが・・・
    駐車場に並ぶだけで1時間とかありましたしね!今も、規模は縮小しましたが地元住民に愛されています。
    「本牧」って、まさに異国の人が大勢入って来てるので珍しい地域ゆえ奥も深いですよね。コメントありがとうございました。

  2. ハマオ より:

    う~む、懐かしい。 まさにこの時代マイカルでバイトしていました。

    当時は何とも思わなかったケド、いい時代だったんだなぁ。

    他県出身者の自分は、アメリカ臭を嗅ぎたくなったら根岸のハウス周辺をうろついたものでした。

    本牧に米軍施設があった頃に思いを馳せながら。

    「本牧」と聞いただけで今でも甘酸っぱい気持ちになってしまいます。

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