CHIBOW(チーボー)さんのバンド歴

チーボーさん (CHIBOW)
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本牧を代表する人物として一番に思い浮かぶのは、やはり本牧のボスこと、CHIBOW(竹村栄司)さん!
クレイジーケンバンドの横山剣さんが、昔からずっとリスペクトしているのは、有名な話です。
ただ、CHIBOWさんが活動したバンド個々の情報はあるのですが通して経歴が知り得る情報がありませんでした。私も大ファンなので、今回は、CHIBOWさんの音楽経歴を、本サイト「本牧グラフィティ」で紹介しようと思います。

幼少期:音楽との出会い

「誕生日」
・1947年6月18日
「名前の由来」
・小柄なので、子供時代から「チーちゃん」と呼ばれていたが、兄貴のような存在で、CHIBOWさんをパーティに誘ってくれたり、踊りや音楽を教えてくれたり、家に呼んで遊んでくれた、サイモンさんが「CHIBOW」と呼び始めたのが現在に至っている。なんと、そのサイモンさんは、Mighty Crownのお父さんなのです!

「子供の頃」
・アメリカのポップスで、レコードを買い始めたのは、ポール・アンカやニール・セダカだが、満足できず、ワンダ・ジャクソンのロックンロールサイドやジーン・ビンセントとかが好きになった。

「ヴォーカルをやるきっかけ」
・元々は、歌は得意ではなかったが、陳信輝さんと、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」を歌ってみたら、CHIBOWさんなりに歌えて、その気になったとのこと。

バンド結成

※以下、敬称略

Midnight Express Blues Band:ミッドナイト・エキスプレス・ブルースバンド

・1966年 竹村栄司(ヴォーカル)、陳信輝(ドラム)、加部正義(ギター)、の3名で結成し、林恵文(ベース)、羽鳥千明(ギター)が参加して、ヤードバーズ等をレパートリーとしていた。後に、加部正義、羽鳥千明の脱退に伴い、陳信輝がギターに転向する。同時に、アッチョン・チャイ(ドラム)、ミッキー吉野(キーボード)、テッド・ローバー(ギター)が参加してバンド名を「べべズ」に改名する。

バンドというよりも、その練習という感じで、当時は、セント・ジョセフやサンモールにヨーハイ(ヨコハマ・ハイスクール)とか、アメリカンスクールがあって、金曜日と土曜日に、YCAC(スポーツクラブの体育館)で演奏していた。そのころ、ルイズルイス加部やエディ藩も出入りしている遊び友達だった。

※同年、平尾時宗(デイヴ平尾)が「平尾時宗とグループ・アンド・アイ」を結成し、柳譲治(柳ジョージ)が「ムー」を結成する。

1966年は、本牧に関係のある多数のミュージシャンが、バンドを結成した年でもありました。
ちなみに、この年は、6月29日にビートルズが来日(6月30日から3日間日本武道館で公演)。
同じ1966年に早くも本牧では、ロックを演奏するバンドが結成されたのは驚きです。

BeBes:ベベズ(第一期)

・1967年 竹村栄司(ヴォーカル)、陳信輝(ギター)、林恵文(ベース)、ミッキー吉野(キーボード)、 アッチョン・チャイ(ドラム)、テッド・ローバー(ギター)のバンド。しかし、改名した同年に解散する。

写真は、「パワー・ハウス・ブルース・バンド」と「ザ・ゴールデン・カップス」ですが、本牧のバンドマンが出入りしていた写真上部のsnack「BE’BE’」の店名からバンド名を「ベベズ」としました。ちなみに、「ザ・ゴールデン・カップス」も「ゴールデンカップ」の店名からバンド名を付けています。

中川三郎ディスコテックに出演するようになり、柳ジョージの「ムー」と出会う。この頃、BeBesは、ブルース・プロジェクトの「アイ・キャント・キープ・フロム・クライング」、シャドウズ・オブ・ナイトの「グロリア」や「バッド・リトル・ウーマン」を演奏していた。ちなみに、「ムー」は、オーティス・レディングなどを演奏していた。

※解散後、ミッキー吉野、林恵文、 A・チョンチャイの3人は、ロイ・マキシマ、ジミー・タケモトと合流して「フラワー・クリエイション」を結成する。

ムー

・1968年 柳譲治が在籍している「ムー」に、陳信輝が加入。関口敏郎(ヴォーカル)の脱退に伴い、竹村栄司が加入する。
メンバー:竹村栄司(ヴォーカル)、陳信輝(ギター)、柳譲治(ギター)、野木信一(ドラム)、西山隆祥(ベース)

※同年、バンド名を「ムー」から「ベベズ」に改名した。

まあ、改名というか、CHIBOWさん&陳信輝さんが入って「ベベズ」に戻したと思います。
この先に出て来るパワー・ハウスのレコード付属紙に「柳、野木をスカウトし」って書いてます。

BeBes:ベベズ(第二期)

・1968年 竹村栄司(ヴォーカル)、陳信輝(ギター)、柳譲治(ギター)、野木信一(ドラム)、西山隆祥(ベース)

POWER HOUSE:パワー・ハウス

・1968年 西山隆祥の脱退に伴い、ベースは柳譲治が引継ぎ、「パワー・ハウス」と改名する。
メンバー:竹村栄司(ヴォーカル)、陳信輝(ギター)、柳譲治(ベース)、野木信一(ドラム)、翌年に小野田克(ギター)が加入

・1969年 東芝からメジャー・デビュー(レコーディングでは、ミッキー吉野やケネス伊東も参加)
・1969年3月10日ファーストシングル「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ/バック・イン・ザ・U.S.S.R.」発売

SIDE A
・オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ
SIDE B
・バック・イン・ザ・U.S.S.R.

【柳ジョージさんが、著書「敗者復活戦」でパワー・ハウスについて書いた話】
パワーハウス。業界では騒がれていたみたいだ。日本に初めて本格的ブルース・バンドができたとかいわれた。
テレビに出ないかって話もあった。音楽番組だよ。フジテレビかな?そのとき、『オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ』をやってくれという注文がついた。営業政策だったんじゃないか、レコード会社の。パワーハウスもビートルズと同じ東芝レコードだったからね。
「楽譜見ながらじゃないと、そんなの歌えねぇぜ」といったのは、ボーカルのチー坊だった。好きで吹き込んだレコードじゃないから、楽譜も見ながらじゃないと歌えないよっていったわけ。ツッパったんだね。そしたらね、「じゃいいよ、キミたち」降ろされちゃった。

・1969年4月10日ファーストアルバム「ブルースの新星~パワー・ハウス」発売

SIDE A
・バック・イン・ザ・U.S.S.R.
・フーチー・クーチー・マン
・アイ・ウォント・トゥ・ノウ
・フォクシー・レディ
・ユーアー・ベター・マン・ザン・アイ
SIDE B
・オブ・ラ・ディ,オブ・ラ・ダ
・スプーンフル
・グッド・モーニング・リトル・スクール・ガール

【日本で初めての本格派ブルース・バンド“パワー・ハウス”が出来るまで】レコード付属紙
3年程前、竹村栄司、陳信輝はバンド結成を思い立ち、現在、ザ・ゴールデン・カップスのメンバーであるルイズルイス・加部と共に、ヤードバーズのレパートリーを得意とする「ミッドナイト・エキスプレス」と云うバンドを結成する。その時のパーソネルは次の通り。
(ヴォーカル)竹村栄司
(リード・ギター)ルイズルイス・加部
(ドラムス)陳信輝
その後、ルイズルイス・加部は当時「グループ・アンド・アイ」の名前で活躍していた現在の「ザ・ゴールデン・カップス」に転身したので、オルガンのミッキー・吉野(現在ゴールデン・カップス在籍)を加え、日本で初めての本格的ブルース・バンドの「第一期ベベズ(BeBes)」を結成した。そして同時に陳信輝はドラムスからギターに転向した。
この頃、ゴールデン・カップスの居ない横浜でサイケデリックとR&Bを得意とするバンドがあり、「ベベズ」と人気を二分していたが、この中に柳譲治、野木新一が活躍していた。
’67年12月、ミッキー・吉野がケネス伊東のかわりにゴールデン・カップスへ転向したのを契機に、より完璧なブルース・バンドを作るべく柳、野木をスカウトし、現在のメンバーである「第二期ベベズ」が出来上がったのである。
全員、こよなくブルース音楽を愛し、約2年間セミ・プロのブルース・バンドとしてカップスのいない横浜で活躍して来たが、カップスの強い推選で今年レコーディングを契機として、グループ名を現在の「パワー・ハウス(Power house)」と改名した。
この”Power house”という名前は、「クリーム」のギターリストとして有名なエリック・クラプトンが、かつて主催していたバンド名「エリック・クラプトンとパワーハウス」から取ったもので、”幻のブルース・バンド”と云われ、白人最高のブルース・バンドと呼ばれている。
全世界的に”ブルース熱”が高まっている折、「パワー・ハウス」のブルース・サウンドをお楽しみ下さい。

・1969年8月20~22日「ヤマハ・ヤングギター・フェスティバル」
・1969年9月22日「10円コンサート」
・1969年9月28日「第1回ロック・フェスティバル」
・1969年10月30日「第2回10円コンサート」
など、日本のロックが始動し始めた時期のロック・フェスティバルに多数参加した。
・1970年4月 解散

・2005年6月 「ロック画報 20」に秘蔵音源CD付きで発売(CHIBOWさんのインタビューあり)
・「Love(未発表ライブ)」
・「I Can’t Keep From Crying(同)」
・「Smile On Me(同)」

【伊藤銀次さんが、ブログでパワー・ハウスについて書いた話】
「「Hoochie Coochie Man」や「Good Morning School Girl」など、当時の日本のバンドの中では初めてといっていい本格的なブルース・ロックのパワーハウスに、18歳だった僕はしびれにしびれた。それは「はっぴいえんど」とはまたちがった意味での、日本のロックのパイオニアのひとつだった。
リード・ヴォーカルは竹村英司さん。その泥臭い唱法がやたらカッコよかった。

当時まだ大阪では、ホーナーのブルース・ハープは売ってなくて、国産のフォーク・ハーモニカでは、いくらがんばってもチープな音しかしなくて、メイオールとはほど遠かった。
そんな僕らがめちゃくちゃ憧れていたのが、横浜のゴールデンカップスやパワーハウスだった。
憧れが嵩じて、僕らのバンドのドラマーが横浜にパワーハウスを見に行くことになった。たぶん横浜のレッドシューズでの演奏だったと彼から聞いた記憶がある。
ライヴ終了後、興奮した彼はパワーハウスのメンバーに話しかけたらしい。そのときウチのギターでヴォーカル(僕のことだ)が、ブルース・ハープを吹いてて、ホーナーのハーモニカがほしいけど大阪には売っていないと嘆いていると彼がパワーハウスの人たちに話したら、なんとホーナーのハープを売っているお店を教えてくださったそうだ。」

・2020年9月23日ライブ音源「1968-1969」CD発売


ソングリスト
1.Love
2.I Can’t Keep From Crying
3.Smile On Me
4.Sittin’ And Thinkin’
5.Dear Mr. Fantasy
6.Blue Suede Shoes
7.Ending Blues

・2020年9月23日ライブ音源「I Can’t Keep From Crying C/W Dear Mr. Fantasy」シングル発売

ソングリスト
A1.I Can’t Keep From Crying
B1.Dear Mr. Fantasy

POWER HOUSE BLUES BAND:パワー・ハウス・ブルース・バンド

・1971年 復帰結成 ギターが二人いて、マーシャルのアンプを並べて演奏していた。
メンバー:竹村栄司(ヴォーカル)、津門博明(ギター)、中屋隆(ギター)、野木信一(ドラム)、吉見(ベース)、青山(キーボード)
 
写真提供:津門博明 様

CHIBOWさん談「あの頃は、オールマン・ブラザーズ・バンドとかが好きだったのかもね。いや、デュアン・オールマンだろうな。デレク&ザ・ドミノスからきて。だからホワイト・ブルースの感じだったんじゃないのかな。ピーター・グリーンとかスティーヴー・ウィンウッド。いまでもあると思いますよ、黒人より白人のキイの方が取っつきやすくてピンとくるって。」

・「WITH THEIR FRIENDS CONCERT」横浜教育会館

※ あの・・・、このゲスト勢が凄くないですか!!!

・「Last Summer Festival Gut’s in Yokohama 9.21」横浜野外音楽堂(現、横浜スタジアム)

【クレイジーケンバンドの横山剣さんが、CHIBOWさんのライブを初めて見た時の話】
「1974年9月21日 横浜野外音楽堂(現在、横浜スタジアムのある場所)で「Last Summer Festival」というイベントがあって、ダウンタウンブギウギバンド、柳ジョージ&レイニーウッド、陳信輝グループ、大木トオル、エディ潘&オリエンタルエキスプレス、デイヴ平尾、そして我らがCHIBOWさん率いるパワーハウスブルースバンドが出演した。他にもいくつか出てたと思うけど憶えていない。横浜では有名な「からすの羽根」というイベンターの主催だった。当時、確か中2だったと思うけど、チャリンコ暴走族「毒瓦斯」のメンバー数名と観に行ったんだよ。赤いスイングトップ着て。最初はダウンタウンブギウギバンドがお目当てだったんだけど、そのとき初めてCHIBOWさん観て思いっきり喰らったのを昨日のことのように憶えています。」

引用:横山剣さんインタビュー

・2020年10月21日ライブ音源「ヨコハマ1974」CD発売

ソングリスト
1. No More Doggin’
2. Love Me Baby(オリジナル)
3. I Can’t Hold Out
4. Just Like A Millionaire
5. Shake Your Moneymaker
6. The Green Manalishi
7. Hey Mr. Blues(オリジナル)

Chibo & the Bayside Street Band:ベイサイド・ストリート・バンド

・1981年2月結成 CHIBO(Vo)、OIL(B)、NAKAYA(G)、SANPEI(Dr)、MICKEY Jr(Key)、TARONG(G)


左から:SANPEI、OIL、NAKAYA、MICKEY Jr、CHIBO、TARONG

内田裕也さん主催で1973年から毎年開催されている年越し音楽イベントに毎年出演していました。
・1981年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加
【内田裕也さんとの出会い】
CHIBOWさん談:「パワー・ハウス作りたての頃かな。裕也さんとこに麻生レミがいた頃だと思う。横浜ACBで裕也さんに手招きされて、”青年、誰が好きなんだ?”って。で、確かヤードバーズが好きだって言ったのかな。その時が最初。それからただかわいがられただけです。」

・1982年9月24日 ファーストコンサート(横浜市教育会館)

・1982年9月25日「明日になれば I’M WISHING FOR TOMORROW/あいつはペティ・ブルー PETTITE BOUR」発売

SIDE A
・I’M WISHING FOR TOMORROW(明日になれば)
SIDE B
・PETITE BOUR(あいつはプティ・ブルー)

・1982年9月25日「Bayside Street」アルバム 発売

Chibo(リーダー、リード・ヴォーカル)/Oil平尾(ベース・ギター、ヴォーカル)/中屋隆(ギター、スライド・ギター)/野木三平(ドラムス、ヴォーカル)/伊藤シュン(ギター、ヴォーカル)
SIDE A
・PETITE BOUR
・I’M WISHING FOR TOMORROW
・STAND BY ME
・DOKI DOKI TONIGHT
・LONELY RAINYDAY BLUES

SIDE B
・HOTTOITE KURE
・HEY HEY HEY
・BAYSIDE STREET
・KISS MARK
・ONE MORE TIME
・TEENAGER

・1982年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加

・1983年6月25日「LITTLE GIRL」発売

SIDE A
・LITTLE GIRL(リトル・ガール)
SIDE B
・DOKI DOKI TONIGHT(ドキ・ドキ・トゥナイト)

・1983年11月 メンバー入替 CHIBO(Vo)、中屋隆(G)、秋元良一(B)、野木三平(Dr)、塚戸博明(G)

・1983年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加

・1984年から、寿町の職安前広場で「フリーコンサート」に、出演しています。
※「寿町フリーコンサート」は1979年に寿町の夜間中学で喜納昌吉が歌ったことがきっかけで始まりました。毎年、職安前広場を会場としてミュージシャンがノーギャラで参加する夏祭りが行われます。

・1984年8月18日【夏のフリーコンサート Vol.6】CHIBO & THE BAYSIDE STREET BAND

・1985年から新しいバンドで、スタートし「ヨコハマ寿町フリーコンサート」と命名され、毎年出演しています。

・2020年5月13日「LIVE AT SHELLGARDEN」発売
※1983年シェルガーデンでのライブ音源がCD化されました。

ソングリスト
1.HOTTOITE KURE
2.MY GIRL
3.TUNNEL NUKEREBA
4.LONELY RAINY DAYS BLUES
5.PETITE BOUR
6.THAT’S ALL RIGHT, MAMA
7.STAND BY ME
8.DOKI DOKI TONIGHT
9.HEY HEY HEY
10.BLUE SUEDE SHOES
11.SLOW DOWN
12.LITTLE GIRL
13.BONY MORONIE
14.BRING IT ON HOME TO ME ~YOU SEND ME
15.TAKE YOU TO YOKOHAMA

・2021年1月20日「1981 Studio」発売
※始動時1981年のスタジオ・デモ録音テープ発見!!!ミッキー吉野参加!!

ソングリスト
1.あいつはプティ・ブル PETITE BOUR
2.テイク・ユー・トゥ・ヨコハマ TAKE YOU TO YOKOHAMA
3.明日になれば I’M WISHING FOR TOMORROW
4.ドキ・ドキ・トゥナイト DOKI DOKI TONIGHT
5.ロンリー・レイニーデイ・ブルース LONELY RAINY DAYS BLUES
6.ワン・モア・タイム ONE MORE TIME
7.エニタイム、エニウェア ANYTIME, ANYWHERE
8.テイク・ユー・トゥ・ヨコハマ[Bonus Track] TAKE YOU TO YOKOHAMA

THE BLIND LEMONS:ブラインド・レモン

・1985年8月17日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.7】THE BLIND LEMONS

THE GRASS HOPPERS:グラスホッパーズ

・1986年8月16日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.8】グラス・ホッパーズ(Vo.チーボー)
・1986年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加

・1987年8月15日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.9】CHIBO & THE GRASS HOPPERS with ルイズ・ルイス・加部

THE MOJOS(第一期):モージョーズ

・1988年 結成 CHIBO(Vo)、陳信輝(G)、加部正義(B)、大口ヒロシ(Dr)、ジョニー吉長(Dr)、野木信一(Dr)、中屋隆(G)、小野なぎさ(Key)

・1988年8月13日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.10】THE MOJOS
・1989年8月12日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.11】THE MOJOS
・1989年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加

・1990年8月18日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.12】THE MOJOS
・1990年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加

・1991年8月17日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.13】THE MOJOS
・1991年12月31日「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に参加

・1992年5月「BRUTUS」にCHIBOWさん、ルイズルイス加部さん、大口ヒロシさんが掲載された。

引用:「BRUTUS」株式会社マガジンハウス、1992年5月15日発売

・1992年8月16日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.14】THE MOJOS
・1993年8月14日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.15】モジョズ

Chibo & The Mojo Bluse Band

・1994年8月13日【ヨコハマ寿町フリーコンサート Vol.16】Chibo & The Mojo Bluse Band

・2000年から地元のイベント「本牧ポレポレコンサート」が開催され出演しています。
※「本牧ポレポレコンサート」は1997年から障害をもつ人たちとの地域交流の場「ポレポレまつり」がスタートしました。そのイベントのひとつとして2000年から本牧山頂公園でライブが開催されました。
シーナ&ザ・ロケッツ、ルイズルイス加部、エディ藩、ミッキー吉野など多数のミュージシャンが参加した。

・2000年5月21日【本牧ポレポレコンサート2000】

CHIBO、鮎川誠、エディ藩、シーナ:(Session with AllStars)として参加

CHIBO&the BLUES EMOTION:ブルース・エモーション

・2001年5月20日【本牧ポレポレコンサート2001】CHIBO&the BLUES EMOTION

CHIBO、シーナ

SKULL & BONES:スカル・アンド・ボーン

・2002年5月12日【本牧ポレポレコンサート2002】SKULL & BONES

Bamboo Village:バンブー・ヴィレッジ

詳細不明:バンド名の由来は、CHIBOWさんの本名「竹」「村」から付けたとのこと

The MOJOS(第二期):モージョーズ

・2005年6月結成 CHIBO(Vo)、中屋隆(G)、洞口信也(B)、森秀樹(Dr)、新宮虎児(G)

左から、森秀樹、中屋隆、CHIBO、新宮虎児、洞口信也

・2005年6月22日「MOJOS’05~本牧ロック化計画」アルバム発売

01. 本牧ロック化計画
02. 黒ツヤ消しのスピードスター
03. Danger zone
04. Do The dog
05. Mellow down easy
06. Rock’n Roll中毒
07. Knockin’on heaven’s door
08. Blue suede shoes
09. All day and all of the night
10. A whiter shade of pale
11. lmitation no satisfaction
12. Messin’ with the kid
13. I’m wishing for tomorrow
14. How many people cry?
15. Batman theme

・2008年 メンバー入替 CHIBO(Vo)、中屋隆(G)、なおちん(B)、平井直樹(Dr)、新宮虎児(G)

SKA-9:スキャナイン

・2008年 結成 CHIBOW(Vo)、Kuubo(Bass)、Mori a.k.a. 森俊也(Dr)、Icchie(Tb, Tp)、Yossy(Key, P)、Techaan a.k.a. 西内徹(Sax, Flute)、Akihiro a.k.a. 秋宏真一郎(G)、GARchaan a.k.a. 新宮虎児(G, Cho)、KAKUTA(e)

【SKA-9 結成時のChibowさん、Kuuboさんのメッセージ】
「これもロックン・ロールでしょ。その時代、時代でかっこいいと思って惹かれて行くって感じ、あるじゃないですか。俺はこれが今のこの時代で一番かっこいい音楽だと思ったんです。この20年位ロックステディに興味を持っていて。ガレージ・バンドみたいなのをやりつつ、そういうのもやりたいと思っていたんです。(Chozen)Leeのライヴの時にKuuboさんのプレイを見て、聴いて。自分のやりたい音楽は、ベースがジャマイカのサウンドじゃないとって思っていたから、”この人だ!”って」(Chibow)

「食えない頃、ロック・バンドの手伝いをやってて、Chibowさんがトリの『横浜寿町フリーコンサート』にも出ていたんで…。昔からスゴい人なんだぞ、ってのがあったんですけど、再会して、俺んところに来て、”お願いします!”って…そりゃ意気に感じるでしょ!」(Kuubo)

・2008年11月9日 ファーストライブ(DRAGON CLUB)

・2010年7月10日「BAAAD」アルバム発売

01. Honmoku Skanin’ Boogie
02. My Home Town
03. Bye Bye Love
04. ひとかけらのチョコレート Everybody Mus’ Get Stone
05. Sha La La
06. ラヴ・ポーション No. 9
07. Stay With Him
08. Boogie Down In Rock
09. Crazy Love

現在も、CHIBOWさんは「SKA-9」で音楽活動を続けて、ライブで歌っています。

・2022年10月21日 横浜市立本牧中学校 創立30周年記念

横浜市立本牧中学校の創立30周年記念式典・記念イベント『Honmoku Ska Party』が行われました。本牧中学校は、大鳥中学校の人数が多くなり、その解消として1993年に本牧和田に開校され、男子バスケットボールや吹奏楽部が有名で県大会などに出場している学校です。そんな、本牧中学の記念イベントで、体育館にて本牧を代表するミュージシャン、CHIBOWさん(SKA-9)と横山剣さん(クレイジーケンバンド)とのトークが行われました。その後、CHIBOWさん率いるバンド、SKA-9の演奏で、「スタンド・バイ・ミー」、「また逢う日まで」、「タイガー&ドラゴン」、「マイ・ホーム・タウン」などが披露されました。

出典:タウンニュース

Eiji Takemura

横浜本牧ロック・リジェンド、竹村栄司(CHIBOW)55周年。ビートルズのサイケ・ブルース・カバーのデビュー・シングルから始まり、シングル盤のみの発売だった「リトル・ガール」は初CD化、そして!新たに発見されたルイズルイス加部、陳信輝、大口ヒロシらによる第1期モージョーズのライブ音源、CKB横山剣が書き下ろした名曲、さらに74歳にして現在進行形のバンドSKA-9まで。

・2022年2月24日「TAKE YOU TO YOKOHAMA」ベストアルバム発売

ソングリスト
1. POWER HOUSE/バック・イン・ザ・U.S.S.R.
2. POWER HOUSE/Love
3. POWER HOUSE BLUES BAND/Shake Your Moneymaker
4. Chibo & the Bayside Street Band/Take You To Yokohama
5. Chibo & the Bayside Street Band/Little Girl
6. THE MOJOS(#1)/C C Rider
7. The MOJOS(#2)/黒ツヤ消しのスピードスター
8. The MOJOS(#2)/Rock’n Roll中毒
9. SKA-9/ひとかけらのチョコレート
10. SKA-9/My Home Town

CD発売にあたり、各著名人からお祝いメッセージが届いていました。

あれから47年経ちましたが、CHIBOWさんの歌声は吃驚する程、変わっていません。それはPOWER HOUSEからSKA-9までの活動遍歴を網羅した今回の盤が何よりもの証拠物件であります。Blues、Rhythm & Blues、Rock & Roll、Ska、Rocksteady、Reggaeといった様々なRoots Musicに深い敬意を払いつつもそれらをRudeなREBEL MUSICとして落とし込むセンスに僕らは「おおおおおおおおお」とシビれるのであります。
――横山 剣(クレイジーケンバンド) ※ 一部抜粋

同じ横浜としてリスペクト出来るアーティストChibowさん!ロックからレゲエまで55年の歴史が音に詰まった1枚!カッコいい先輩がいる街Yokohama!それがMy HomeTown!
――Masta Simon(Mighty Crown)

カッコいい生き様が音に出ている!Power House, Mojos, Ska-9と名前と時代が変わっても芯が変わっていない。時代に沿ったルードさ、若い頃のライブは特に見たくなりましたね。Big big respect!!!
――Sami-T(Mighty Crown)

CHIBOW san 最高です!強く豊かな歌声を聴いてたらとっても自由な気持ちになりました!
――浅野忠信

時代やスタイルは変われどCHIBOWさんの本質は変わっていない……「少年」そのものだ。名だたる日本のミュージシャンが「聞き分けの良い大人」になり成り下がっていく中「少年」の音楽愛は増すばかり(笑)。あの本牧でイカした不良であり続けるには「音楽」が必要なんだ!とアタシより二周り年上の「ルードボーイ」を観てそう思う。
――柳家 睦(50歳 杉並区 元従業員 & セクシー歌手、柳家 睦 & The Ratbones) ※ 一部抜粋

感想は、最っ高にカッコいい!それだけです。
歌も演奏も音も録音の仕方も機材も、今と違う時代の音がむしろ新しく聴こえるし、そして、これがあってSka-9、ずっとカッコいいんだな、と。何より今が一番カッコいいのがカッコいい。

――CHOZEN LEE(CHOZEN LEE AND THE BANG ATTACK / FIRE BALL) ※ 一部抜粋

引用:ディスクユニオン・CD紹介ページから

まとめ

CHIBOWさんの音楽経歴を当初から現在まで書き並べてみました。
日本では、1966年のビートルズの来日と同時にグループ・サウンズ(GS)が大流行していた。そんな時代に本牧では、イギリスのロック・バンド「ヤードバーズ」等を演奏するバンドとしてCHIBOWさんは「Midnight Express Blues Band」を結成します。本牧では、バンドブームの前から米軍基地経由で最先端の音楽が入手でき、米軍基地のダンスパーティーに行ったり、即席バンドで演奏する環境がありました。その遊び仲間として、陳信輝、ルイズルイス加部、ミッキー吉野、柳ジョージ、エディ藩、等のそうそうたるメンバーから始まります。同年、1966年後半から、「ベベズ(CHIBOW)」、「グループ・アンド・アイ(デイブ平尾)」、「ムー(柳ジョージ)」など多くのバンドが結成されます。

そして、1968年に「日本で初めての本格派ブルース・バンド“POWER HOUSE”」として、レコードデビューします。GSブームが終わり、ニュー・ロックが流行る以前に先駆けて結成されました。
しかし、柳ジョージさんが書かれていますが、「POWER HOUSE」時代にCHIBOWさんは、自分のスタイルをつらぬいてテレビ出演から外されたりすることに、音楽に対する信念に驚かされます。
その後、「POWER HOUSE」は解散となりますが、ライブ活動を中心に「POWER HOUSE BLUES BAND」として活動を再開します。そのバンドは、前述のとおり、クレイジーケンバンドの横山剣さんや、伊藤銀次さんなど様々なミュージシャンに影響を与えました。
1970年代後半は、ニュー・ミュージックという言葉が定着し、ロックもポップ化している中、CHIBOWさんは、「Chibo & the Bayside Street Band」を結成すると、内田裕也さん主催の「ASAKUSA NEW YEAR ROCK FESTIVAL」に出演し、次々とアルバムを発表します。
1984年からは、約10年間も「ヨコハマ寿町フリーコンサート」に出演しています。バンド名は、色々と変わり「THE BLIND LEMON」、「THE GRASS HOPPERS」、「THE MOJOS」、2000年からは、「本牧ポレポレコンサート」に、「CHIBO&the BLUES EMOTION」、「SKULL & BONES」で出演。2022年には、本牧中学校の「創立30周年の記念式典」でライブなど、このボランティア活動は、一般的な情報としてあまり知られていませんし、CHIBOWさんもあまり語っていないのが、またカッコイイんです。

2005年。クレイジーケンバンドのメンバー、洞口信也さんと、新宮虎児さんも加わり「THE MOJOS」を結成して有名なアルバム「本牧ロック化計画」を発売しました。CHIBOWさんのファンや音楽マニアの人にすると、22年間も待たされたアルバムです。年配の方が絶賛する中、初めて聞く若い人からも斬新でカッコイイ!と話題になりました。

2008年から現在に至るまで、「SKA-9」としてライブ活動を中心に、アルバムも作成しています。

CHIBOWさんと何度かお話しをさせて頂いた時に「俺は、昔は良かったとか思わないよ。今が一番でしょ?時代、時代でカッコイイものは変わるし、進化するからね。」との言葉が印象に残っています。
それに、音楽だけではなく、ファッションも素敵で、本牧ブギーカフェも経営され、ライフスタイル全部がカッコイイんです。そんな、CHIBOWさんは、地元住民やミュージシャン、各方面のファンが大勢いて憧れやリスペクトされ続けているのは、やはり私の中で「本牧のボス」なのです。

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