海岸教会とホテルニューグランド

横浜の歴史散歩
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横浜市中区日本大通8(根岸線関内駅下車10分)

英一番館と呼ばれたジャーディン=マジソン商会の跡地に建つシルク博物館もあるシルクセンターの斜め前に、こじんまりとした教会がある。日本最初のプロテスタント教会の横浜海岸教会(よこはまかいがんきょうかい)である。

日本における新教の流れには、横浜・熊本・札幌バンドの三つの流れがあるが、横浜バンドが最も古い。アメリカ人宣教師バラとブラウンは1871(明治4)年に石造りの小教会を建てた。翌年にはバラとブラウンの下に集まった11人の青年によってわが国最初のプロテスタント教会である日本基督(キリスト)公会が組織された。1875年には大会堂を建設して横浜海岸教会と称した。1879年には、この教会で日本人による最初のクリスマスミサが行われた。関東大震災で大小両会堂とも崩壊したが、1933(昭和8)年、宮内省技師雪野元吉の設計で現在の建物がつくられた。

シルクセンターから海岸通りを谷戸橋方向に進んでいくと山下公園をはさんで氷川丸と対して灰色の建物が見えてくる。ホテルニューグランドである。丸くカーブする谷戸橋側の壁面には「AD1927」と建物を示す年が刻まれている。

開港後、外国人のために本格的なホテルが必要とされたが、横浜では1863(文久3)年にイギリス人が横浜居留地5番(現在の県民ホール付近)に会食場兼宿舎の横浜クラブを建設した。その後つぎつぎとホテルが建設され、関東大震災の直前までに外国人向けのホテルは14館575室あった。関東大震災でそれらはすべて倒壊・焼失し、応急のテントホテルが作られたがホテル復興を要求する声が高まった。1925(大正14)年11月、横浜市はホテル建設計画を決定し、東京帝室博物館などの設計で知られる渡辺仁の設計で鉄筋5階建(当時は4階建)アール・デコ様式の建物が1927年11月に竣工し、12月よりホテルニューグランドとして営業を開始した。

ホテルニューグランドには来日した各国の著名人が宿泊した。チャップリンやベーブルースもここに宿泊した。大仏(おおらぎ)次郎は1931年から約10年間にわたって滞在し、『鞍馬天狗』『霧笛』などの作品を執筆した。昭和20年8月30日、厚木飛行場に降り立ったマッカーサーが最初の宿舎としたのもこのホテルであった。なお、GHQの建物となった東京の第一生命ビルの設計者も渡辺仁である。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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