神奈川運上所跡

横浜の歴史散歩
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横浜市中区日本大通1(根岸線関内駅下車10分)

神奈川県庁の旧館敷地の南角に「神奈川運上所跡」(かながわうんじょうしょあと)の石碑がある。「運上」というのは江戸時代の税金を意味する。開国通商の開始とともに、1859(安政6)年、ここに運上所(税関の前身)が設けられたのである。

開港に当って幕府は1859年、神奈川奉行所を設け、外国奉行の兼任として酒井忠行・水野忠徳ら5名が神奈川奉行に任命されたが、この神奈川奉行所の一つの機関として運上所が置かれたわけである。ここは単に関税に関する事務を扱うだけでなく、外国に関する事務所であって幕府の外務を扱い、その他港の行政・刑事、さらには船の製造や修理の監督などまでも扱う総合的な役所であった。

1866(慶応2)年、関内の大半を焼いた「豚屋火事」と呼ばれる大火で、運上所も焼失した。翌年わが国最初の石造り洋風二階建ての新庁舎が建てられ、これを横浜役所と呼んだ。

明治新政府が発足すると神奈川奉行所も新政府に吸収され、1871(明治4)年の廃藩置県が断行された折、運上所は大蔵省の管轄すろところとなり、神奈川運上所は横浜運上所と改称され、さらに翌年税関本局、1874年に横浜税関となった。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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