県立博物館(旧正金銀行本店)

横浜の歴史散歩
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横浜市中区南仲通5(根岸線桜木町駅下車5分)

桜木町駅の左手にある弁天橋(べんてんばし)を渡って進み、右へ入る3本目の道(南仲通)を進むと馬車道(ばしゃみち)とぶつかる。その角(かど)のところに、大きなドームが屋上にあるドイツ=ルネッサンス式の花崗岩でできた建物がある。この建物はもと横浜正金銀行本店(よこはましょうきんぎんこう)だったもので、昭和42年、県立博物館となった。以前は自然部門と、人文部門に分けて展示されてきたが、1995年から人文系のみの県立歴史博物館として新しく出発した。

この建物は妻木頼黄(つまきよりなか)博士の設計によるもので、1899(明治32)年から1904年にかけて建設されたもので博士の代表作でもある。1923(大正12)年の関東大震災で屋上のドームを焼失したが、建物本体は災害を免れて今日に至っている。明治期の貴重な建造物として、昭和44年国の重要文化財に指定された。

横浜正金銀行は1880(明治13)年、本町4丁目に開業したが、間もなくこの場所に移った。当時の貿易は居留地の外国商館に握られ、輸出入は全て彼らの手を通さなければならなかった。また取引上必要な外国為替の取扱いも外国の銀行に独占されていたのだった。横浜正金銀行は、正貨の円滑な供給によって日本の商人の貿易の便をはかり、外国為替業務も行ない、貿易・金融の実権を日本人の手に移そうとするものだった。

1887年に横浜正金銀行条例が制定され、特殊銀行として外国為替銀行となり、貿易・金融の面で活躍した。その後日露戦争に際しては外債募集に努め、日露戦争後は満州における中心的な金融機関となって、支店網を拡げたのだった。昭和に入って外国為替統制の機関となったが、第2次世界大戦後はGHQの政策により普通銀行に改められ、東京銀行となり、本店は東京に移った。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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